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サステナビリティ紀行 -田んぼから世界の開発課題とのつながりを考える-
2015/05/27


私たち日本人にとって馴染みの深い「田んぼ」。ラムサール条約(正式名称:特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)では、日本のNGOや政府の働きかけにより、この田んぼが生物多様性保全にとっても重要な場所であることが定義されました。田んぼに目を向け、そこで保全や体験学習などさまざまな活動を展開することが、何故、国際条約において重要と明記されるに至ったのか。そしてその成果とはなんなのか。ラムサール・ネットワーク日本の柏木実さんに伺いました。

(語り手:ラムサール・ネットワーク日本の柏木実さん)

ラムサール条約はどのような条約ですか。田んぼを「湿地」と捉え、その生物多様性を守ることをラムサール条約で定義づけることは、何故必要だったのでしょうか。

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ラムサール決議のCBDにおける意義を準備会合で説明した

ラムサール条約は、水と陸の接する場所、つまり「湿地」と、そこに住む生きものを保全し、湿地の恵みを賢明に利用するための国際条約です。条約調印の1971年から20年ほどは渡りをする水鳥に注目してきましたが、次第にその範囲を拡げ、今は水鳥だけでなく湿地の生物すべてとその生態系を保全することが目的です。締約国は世界的に重要な湿地(ラムサール条約湿地)を一つ以上指定し、条約湿地だけでなく、すべての湿地を保全する義務を負っています。

田んぼ(水田)はこれまで農地としての価値だけが注目されてきました。しかし水を張って稲を育てる田んぼでは5,000年以上にわたり、生きものと共存した農業が行なわれてきました。つまり人間が作った持続可能な湿地とみることができます。湿地としての田んぼの生物多様性の大切さを条約の中に定義づけることは、効率性を追いかけて化学農薬や肥料などに依存している農業のあり方を見直すことになり、これまで顧みられなかった水田を通して湿地の生態系を保全するという新たな方向性を示すことになりました。

「水田決議」の採択に向け、どのような活動を行いましたか。提言活動の成功の秘訣はどこにあったと思いますか。

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決議採択をサポートするサイドイベントには
世界各地のNGOが参加、支持を得た

決議の採択に向けて、日韓NGOの協力のもと、田んぼの生物多様性に関する資料集め、決議の素案作り、日韓政府と協働して決議案を作成、鳥類保護団体、農業関係者や消費者団体へ呼びかけ、決議採択に向けたワークショップ等を開催しました。

2008年の採択に向けた最初の動きは2002年の日韓NGOの参加したワークショップでした。その後両国のNGOが絶えず連絡を取りながら時間をかけて準備したこと。鳥類保護団体だけでなく、農業関係者や消費者までも巻き込んで一緒に活動したこと。二つの国の人々の特性の違いをうまく活かしたことが採択に結びつきました。

田んぼの生物多様性を守ることは、持続可能な社会の実現にとって何故大切なのでしょう。また、目標の実現のために、どのような活動や多様なセクターとの連携を行っているのか、成果や課題とともにお聞かせください。

田んぼの生物多様性を守るためには、生態系を壊さない農法、生態系を生かした食生活などの視点からの見直しが必要です。これらは持続可能な社会を作るために重要な事柄です。

今私たちが取り組んでいるのは「田んぼの生物多様性向上10年プロジェクト」です。田んぼの生物多様性向上のための具体的行動の事例を示して、農業関係者、消費者、環境団体、地方行政、企業に呼びかけ、2020年までに一人でも、一団体でも多く具体的行動に取り組んでもらい、それを束ねて主流化しようという運動です。

さまざまな分野の団体や個人が取り組んでくださっていますが、地域や分野に偏りがあり、地域やセクターに根ざした働きかけがまだまだ不足しています。今後は更に多くの地域集会を開き、地に根を張った活動にしていきたいと考えていますが、そのためにもより多くの多様な人々とのつながりを強めることが必要であることを痛感しています。

参考:田んぼの生物多様性向上10年プロジェクト

KashiwagiMinoru柏木実(かしわぎ みのる)
ラムサール・ネットワーク日本 共同代表、同水田部会副部会長。東京都公立中学校の理科教員として20年間勤務した後、1993年から湿地とそこに住む生きものたちの保全運動に取り組む。ラムサール条約締約国会議には1996年のCOP6から参加。水田決議の素案の最初のメモを書き始めたのは、シギ・チドリ類の調査に行っていた2005年初め、田んぼに囲まれたインドの宿泊施設のお世話になっていたときのこと。