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[連載:持続可能な社会の実現に向けて]第1回 リオサミットからその後のステークホルダーの動き
2014/12/5


話し手:環境パートナーシップ会議(EPC)副代表理事/リオ+20地球サミットNGO連絡会幹事
星野智子

●1992年のリオサミットは、どんな会議だったのでしょうか。

rio_rekishiリオサミットは地球規模の問題が各地で深刻化する中で、「持続可能な開発」と いう考え方のもとに、国連人間環境会議の20年後に開催された最大規模の国連会議でした。
当時私は大学生で、特段活動はしていなかったので報道で知るだけでしたが、大変なことが起きているのだなという印象を持ち、将来このことに関わっていきたいと思うようになり、その後青年の国際キャンペーンをしていたA SEED JAPAN のボランティアに参加しました。(右図:地球サミットを中心とする市民活動の年表)

●リオサミットは、世界や日本の市民社会にどのように受け止められていましたか。

60・70年代、経済先進国で大量生産・大量廃棄型の経済活動や乱開発が続けられた結果、各地で公害・環境問題が山積していた状況の中での開催であり、アマゾンの森が消えてしまう、など地球環境問題に関心を持つ人たちにとっては大変 重要な会議だったと言えます。日本の市民社会では このことを きっかけにNGOのネットワークができたり学生が動き出したりしました。

●リオサミットの成果は。

ユースエコロジーキャンプ1993年気候変動枠組条約と生物多様性条約の署名が始まり、「リオ宣言」とそのための行動プログラムを記した「アジェンダ21」そして「森林原則」が 採択されました。
NGOや女性、ユースなど各ステークホルダーの役割についてもアジェンダ21に明記され、“市民の参加”を呼びかけるスタイルが生まれました。“持続可能な開発”や“サステイナビリティ”という言葉もここから広まるようになりました。日本政府は翌年、環境基本法を制定しました。地球環境基金もこのサミットを機に創設されました。(右写真:長野県で実施したユースエコロジーキャンプ 1993年)

●日本人の参加はどれくらいあったのでしょうか。成果は日本ではどのように受け止められましたか。

170あまりの国連加盟国が出席し、NGOからは約18,000名、日本からは100団体400 名近くが参加しました。ビジネス界は経団連が参加し、これを機に経団連地球環境憲章ができたり、経団連自然保護基金が創設されたりしました。

●リオサミットからの成果は、20年たった今、どんなところに見つけられますか。

GEOCのリオサミット展示環境基本法ができ、自治体の環境政策が進んだこと、市民や企業による環境保全 活動がさかんになったことは大きな成果ではないかと思います。温暖化防止活動や生物多様性保全についてはその後の締約国会議も開催され、進まない議論もあれど、このことに取り組んでいる人や組織は増えています。環境教育や持続可能性に関する情報や仕組みができていることも成果だと言えます。EPCが運営 に携わっている地球環境パートナーシッププラザ(GEOC)もリオサミットをきっかけに生まれ、ここで政策対話やNGO支援、パートナーシップ構築などさまざまな取り組みが展開されています。(右写真:GEOCのリオサミット展示風景)