[サステナビリティ紀行]多文化共生のまちづくりの一助、コミュニティラジオの発信
2016/09/29
コミュニティメディアFMYY(以降、愛称の「FMわぃわぃ」にて統一)は、阪神・淡路大震災の経験をもとに、人種、民族、国籍、言語、宗教、年齢、性、障害のあるなしに関わらず市民一人ひとりが自分らしく生きられる社会をつくるため、阪神・淡路大震災後に、市民団体が神戸で開設した多文化・多言語放送局です。多様性豊かな社会をつくる上で、私たちにはなにができるのか。プロデューサーの金千秋さんに伺いました。
(FMわぃわぃは2016年3月31日でFM放送を停止し、インターネットで放送しています)
FMわぃわぃは、言葉のわからない外国人住民のために、災害情報を多言語で放送することから活動を始めたそうですね。FMわぃわぃが生まれる背景として、地域にはどんな課題があったのでしょうか
BE KOBE(神戸は人の中にある)のPROJECTの一員
として参加した金氏。市役所前の東遊園地にて
FMわぃわぃは、1995年1月17日の阪神淡路大震災が生んだ市民メディアです。その誕生の背景には、神戸長田には、海に面し昔から海外との交易が盛んで多様性を寛容に受け入れる土地柄があったこと、そして近年の重工業を担うケミカル(化学)産業に従事する在日コリアンが多く暮らしていたことがありました。
震災時、地域に定住する多くのコリアンは避難所に向かいましたが、記録用の名簿には多くの人が「金、朴、李」と一目で韓国人とわかる本名ではなく、通名(日本名)での登録を選びました。このコリアンの行動の底にあるものを顕在化させ、それを解析し、地域に住む人々とその知見を共有することこそ、住みやすい、住み続けたい社会の実現につながると考えてきました。
「コミュニティをつなぐ」ことを目的に「市民参加型」の運営方針を大切にしていると伺いました。こういった活動を続けることで、どのような成果が生まれましたか。また、どんな課題があると感じていますか。
FMわぃわぃの最初の声「FMヨボセヨ」は、日本人避難者に埋没した同胞を探すための「あなたを探しています。こちらを見てください」という安否確認であり、人が人を思いやる、そしてその声に呼応して同胞と出会い、ひと時の安堵を得、助け合うための呼びかけでもありました。
長田の地場産業ケミカルは多様な国から来た人たちが働く場なので、二世や三世のコリアンは、一世の祖父母のように日本語が不自由な状況にある彼らの困難さに気づくことができました。ラジオから流れる母国の言葉と音楽がいかに心を癒すかを、より困難な状況のベトナム人に伝え、カトリックたかとり教会での「FMユーメン(「共に愛し合う」という意味のベトナム語)」という声が発信されることとなりました。
これら2つは発信「放送(放つ送る)」だけの場だけではなく、被災者自身が発信する多様な現場の声です。「まち」に住む声を上げにくい、あるいは生活する中で見えない圧力を受けている人々からの声となり、外国語の情報支援ではなく、多種多岐にわたる、様々な人々が共にいることへの気づきとなり、FM YOBOSEYOとFM YUMENは統合し、誰でもが住みやすいまちづくりのための場、FM YY(わぃわぃ)となりました。
現在FMわぃわぃは1年間の無免許ラジオ放送の後取得した20年間のラジオ免許を返還し、2016年4月1日からインターネットメディアFMわぃわぃとして配信を続けています。その要因は一口ではとても表せない様々な絡みからです。
1996年1月17日、確かに官民一体となって「これこそ復興のまちづくりの道具だ」と祝い、共に信じたコミュニティラジオFMわぃわぃの船出でしたが、その後の災害発災のたびに実施される法改正は、市民の動きやすさの改正ではなく、資金的にも制度的にも手枷足枷となるものでした。
特にFMわぃわぃにとって容認できない条項は、手を携え住みやすいまちづくりを目指してきた外国籍の仲間たちがその運営から排除されていることです。また東北の激甚被害地域の臨時災害FMが、これからの地域復興の一翼を担おうとコミュニティラジオ局へ移行したいと願いながら法的規制による運用資金の捻出に阻まれ、歯ぎしりする思いで閉局に至る姿は如何ともし難いものでした。
FMわぃわぃも公的資金を最初から受けず市民が支える運営形態で現在に至ります。現況の法制度の求める局運営は資金的に成り立たないことは明白で、またこの法制度への抵抗の意味合いも込め免許を返還し95年の焼け野原でラジオ電波を見つけたように再びインターネットという新たな通信手段で共に歩むと声を上げてくれた仲間とその一歩を踏み出しました。
SDGsの重要なメッセージに「誰も取り残さない(Leave no one left behind)」という言葉があります。誰も取り残さない社会をつくるために、どういった視点やアプローチを持つことが大切でしょうか。
求めるところは当時も今も変わらない!誰一人声を偲んで泣く人のないそんなまちを創ることです。この未来予想図の実現に、インターネットの特性を生かしたボーダーレスな広く多くの人とのつながりを活用していきます。あなたのご参加もお待ちしております。
関連サイト:FMわぃわぃ
金千秋(きむ ちあき)
FMわぃわぃ代表理事・総合プロデューサー。祖母の代からの神戸っ子。阪神淡路大震災で自宅が全壊。震災後2週間で放送を開始した在日コリアンコミュニティの安否確認ツールFMヨボセヨに参加。その後「たかとり救援基地」でのベトナム人への情報発信FMユーメンと合流し、被災市民からの発信「FMわぃわぃ」をプロデュース。パーソナリティとしても活躍する。